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 建学の精神


美を求める心

岡田茂吉師の思想を本校の精神性とする。
“生活即教育”の学びを中心に、一般教養を身に付け、更に、三つの芸術性を通して人格の形成を図る。
そして、将来、世のため人のために率先して社会に貢献できる精神性と体力を育む。

 

1 .スピリチュアリティー
  spirituality
  敬虔な祈りと師の教えを学ぶ

2.ナチュラルアグリカルチャー & ガーデニング
  natural agriculture & gardening
  自然順応、自然尊重を学ぶ

3.ビューティー オブ ミホミュージアム
  beauty of MIHO MUSEUM
  MIHO MUSEUM創立者・小山美秀子師の美の感性を学ぶ

小山美秀子師の言葉

“若い生命、若い肉体をもつ彼、彼女らに正しいものをつかんでもらいたい。

正しい生き方のためにその生命を奉仕してもらいたい。
正しい祈りと努力と協力の上に、天よりの栄光は必至である”

岡田茂吉師の思想とは

「人を幸福にしなければ自分は幸福になり得ない」

誰もが一度は、人として生まれてきた目的や意味を考え、自分に何ができるのだろうかと思い悩んだ経験があるのではないでしょうか。それは、私たち人間にとって、永遠のテーマといえるのかも知れません。このテーマを追い求め、過去、数千年という長い歳月を掛けて、人類は学問を発達させ、高度な文明世界を築いてきました。

岡田茂吉師は、かつて人類が思い悩んできたさまざまな問題を解き明かし、人間が生まれてきた目的や意味、そして使命を的確に指し示す数多くの論文を書き遺されました。その範囲は、宇宙の創造までさかのぼる広大無辺なものから、身近な家族の問題まで幅広いものでした。

皆さんは、世界人類にとって共通する幸せとは、どのようなものだと思われますか。肉体的にも精神的にも健康であることは、人間にとって、幸福条件の一つに挙げられると思います。しかし、現代に生きる私たちを振り返った時に、心身共に健康であると誇れる人は、果たしてどれくらいの人がいるのでしょうか。

明治15(1882)年12月23日、この世に生を受けた岡田茂吉師は、幼少時代より、人間としてのありとあらゆる苦しみを味わわれました。病気はもちろんの事、経済的な困難やそれらに伴う争いなど、普通の人間ならば挫けてしまう状況の中にあって、世の中のあらゆる手段、方法を研究し、克服していかれました。その研究範囲は多岐にわたり、西洋医学、東洋医学、哲学、宗教、芸術など、古典から最先端のものまで、専門家をもしのぐほどの知識を得られ、一つの到達点へとたどり着かれました。

それは、自然順応、自然尊重の思想です。 人間は、自然からの恩恵を受けてこそ感謝の心が湧き、心豊かに生きていけるのではないでしょうか。産業革命以降に起きた、自然を征服しようとする思想、行き過ぎた物質文明は環境を破壊し、人類をも破壊する存在となっています。また、医療技術は日々進歩し続けていますが、肝心の病気や病人は一向に減ることがない現実は、どのように説明がなされているのでしょうか。

岡田茂吉師は、さまざまな経験や豊富な知識を基に、人類が抱える問題の解決法として、本校の建学の精神でうたわれている「生命の芸術、農業の芸術、美の芸術」の三つの芸術活動を提唱されました。そして、この活動を行う上で大切なことは、真・善・美の心、それは、誠の一字に集約されます。例えば、人との約束を守ることは信頼関係を築く上で大切な要素であり、うそをつかず正直に生きることは、誠の現れとして、その人を幸せに導いてくれると説かれました。

そして、いつ、どのような時にでも世界的観点から物事を捉え、どのようにすることが人類にとって幸せなのかを考えること、行動することを推奨されました。それが真の善行であり、独善的に偏った思想では、人々を不幸に陥れ、結果において悪を生むことを説かれました。日本語に「丁度良い」という言葉がありますが、何事も偏らず、調和を保つことが平和を保つ思想であることを自ら示されました。

岡田茂吉師は「人を幸福にしなければ自分は幸福になり得ない」と常に言われ、この心の拡大を願っておりました。本校では、師の志を受け継ぎ、世界平和に役立つ人材の育成を目指しております。

美しきものを求めて


創立者  小山 弘子(1940-2022)

科学の進歩は止まるところを知らず、現代はインターネットの時代、情報社会となっているようです。便利な反面、いろいろと格差が生じ、厳しく、生活し難い社会のようです。更に精神性の欠如が社会悪を募らせています。こんな時代にこそ、人は幼少の頃から精神性・宗教心に目ざめる事が大切なのではないでしょうか。
MIHO美学院は神慈秀明会教祖である岡田茂吉師の思想を精神性とし、師に薫陶を受けた小山美秀子師(神慈秀明会開祖)の理想とする教育の具現化を願う学校です。小山は美しいものを求めて止みませんでした。それは、日々の暮らしの中にまで徹底されたものであり、その美しく毅然とした清らかな人格そのものでありました。美には心の美、行動の美があり、それらを個人が身につけることにより、美しい思想が世界へと広がりいくことを願っておりました。
本校は、そうした小山の理想とした『美を求める心』の教育を目指し、“生活即教育 ”、“独立と協調の精神“を六年間の全寮制の生活の中で育みます。生徒は朝の目覚めから、夜就寝するまで、時間に追われながら過ごすことになるでしょう。現代の子ども達にとって、最初はとても厳しい、辛い生活であるかもしれません。教師は生徒一人ひとりの心に寄り添い、また、個々の可能性を引き出すように努めます。
信楽の森の中に佇む瀟洒な学び舎、その中央に輝くMIHO チャペルが学院の象徴です。春には山桜、秋には真っ赤な紅葉が心に喜びと華やぎを与えてくれることでしょう。自然に恵まれた環境の中で六年間の“美を求める心”の学びを通して、将来、世の為、人の為に率先して社会に貢献できる人材、又、世界平和を志して翔いていく人材の誕生を願っております。

小山美秀子師が作られた絵更紗の風炉先屏風の一部

小山美秀子師について

創立記念日と申しますと、多くは、学校の竣工日とか、1期生の入学式とかになると思いますが、MIHO美学院は、神慈秀明会の開祖である小山美秀子師(会主様)の生誕日を創立記念日としています。私の母について少し話させて頂きます。

岡田茂吉師(神慈秀明会教祖)の地上天国建設の思想の精神性を本校の建学の精神としております。そして、岡田茂吉師の薫陶を得て、小山美秀子が神慈秀明会の開祖となりました。母は、1910年、明治43年5月15日に大阪の中心地にあたる船場という、問屋街や金融街にある河崎家の次女として生誕しました。この河崎家というのは、年中行事を大切にする一方で、また、進取の気性に富んだ家風でございました。そして私の祖父母は、観音信仰に大変熱心であったと聞いております。

母は、活発にして大変聡明ということで、女学校内でも目立っていたようです。清水谷高等女学校を卒業して、普通ならば、そこで花嫁修業をして結婚となるのでしょうが、それを物足りなく感じ、さらに高い精神性のある情操的な学校に憧れて、東京の自由学園に進学しました。「当時、大阪から東京へ、女子が一人で行くということは、現代の子供たちが、日本から海外へ勉強に出るよりも難しかった。」と申しておりました。自由学園というのは、羽仁もと子、吉一夫妻が立ち上げられました「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」「人としてこの世に生まれた以上は、社会に奉仕すべきである。」というキリスト教精神に基づき、生活即教育、独立と協調を学ぶ教育でした。何不自由なく過ごしておりました母にとりまして、自由学園の寮生活は非常に厳しく、本当に大変な厳しさから、涙したこともあったようでございます。しかし、その自由学園で学び、羽仁もと子女史の薫陶を受けたことが、その後の母の歩む道の基礎となりました。

母は昭和16年に、岡田茂吉師との邂逅を得ました。そして、戦中戦後の混乱期を乗り越え、一途に教祖の教えに従いまして、生涯人の幸せを願って布教伝道の道を歩みました。一方、大変美を求め、美を愛でられた教祖でございました。母も同じく、美しいものが好きでした。大自然の美しさや、一流美術品に心を惹かれ、最終的には、世界の最高の美を求めて、収集されたコレクションが、今、MIHO MUSEUMの南館に収められています。「美しい物、一流のものを沢山見なさい。感動が生きた栄養になるのですよ。美しいものを求めることは、神様を求めることなのよ。」という言葉を残しております。

母の理想とする教育の具現化を目指して、MIHO美学院の子供たちは6年間しっかりと建学の精神に基づいて学び、将来、真善美の理想世界実現の為に、社会に貢献する人材となって卒業して行くことを願っております。

2014 年5月15日
MIHO美学院創立記念日の小山弘子初代理事長挨拶より

■明治43(1910)年5月15日
河崎家の第二女として、大阪に誕生。


■昭和3( 1928 )年3月
大阪府立清水谷女学校卒業後、羽仁もと子氏が創設した東京の自由学園高等部に進学、自由学園の教育理念である「生活即教育・独立と協調の精神」を学ぶ。


■昭和16( 1941 )年
精神的指導者である岡田茂吉師との邂逅により、「真善美」の理想社会実現の理念を学び、献身的な奉仕活動を開始。


■昭和45( 1970 )年
岡田茂吉師昇天から15年が過ぎたのち、岡田師の精神性への帰依と真の信仰を求めて、神慈秀明会を創設。


■ 昭和58( 1983 )年
滋賀県信楽の地に、同会の中心地となる「神苑」を開苑。かの地に富士山を思わせる殿堂「教祖殿」を建立する。設計は、ニューヨークのワールドト レードセンターなどで知られるミノル・ヤマサキ氏に依嘱、竣工。


■平成4( 1992 )年
岡田師の「自然順応・自然尊重」の理念を実現すべく、秀明自然農法の普及展開を開始。


■平成9( 1997 )年
岡田師の「美による感化・美による社会奉仕」の理念を実現すべく、滋賀県信楽の山中にMIHO MUSEUMを開館。パリ・ルーブル美術館のリニューアルをはじめ、世界でさまざまなプロジェクトを推進してきたI.M.ペイ氏に依嘱、竣工。


■ 平成15( 2003 )年11月29日
昇天。享年93歳。

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