ホーム  >  MIHO美学院について・沿革

2006年

      9月 9日 学校設立委員会がスタート

     12月23日 学校設立と建学の精神「美を求める心」の発表

 

2007年

      4月17日 I.M.ペイ氏が建設候補地の視察

      5月    学校名「MIHO美学高等学院」と発表

      8月 1日 建築設計者がI.M.ペイ氏に決定したことの発表

     11月 7日 I.M.ペイ氏が学校設立委員会にてチャペル模型のお披露目

     12月23日 中高一貫教育への変更に伴い学校名を「MIHO美学院中等教育学校」に変更

 

2009年

      4月27日 新築工事の開発許可

      5月10日 起工式

 

2010年

      1月15日 学校設置認可申請書の提出

      8月 9日 私立学校審議会通過

      8月22日 地鎮祭

 

2011年

      5月15日 上棟祭

     11月14日 I.M.ペイ氏が現場視察

     11月19日 学校説明会開催(於:ピアザ淡海)

 

2012年

   1月14・15日 入学試験実施

      3月 4日 入学準備説明会

      3月22日 私立学校審議委員の竣工検査

      4月 1日 竣工祭

      4月 8日 第1回 入学式

      4月21日 和室棟披き

      6月10日 柔道場開き

      9月15日 第1回体育祭

 11月17日・18日 第1回文化祭(芸術祭)

            テーマ〝「絆」を深め「美」を形に!! 40人の芸術祭″

 

2013年

      1月29日 元Jリーガー 宮澤ミシェル氏出張サッカー授業

      2月16日 哲学者・環境活動家 ヴァンダナ・シヴァ博士公開授業

       4月8日 第2回入学式

      5月15日 第2回創立記念日

   5月16・17日 アメリカ・ミシガン大学交流会

      10月7日 ボストン日本協会特別顧問 ピーター・グリーリ氏ご夫妻来校

     10月14日 第2回体育祭

            テーマ「80人のSports Festival ~美しい心と技を求めて~」

     11月16日 MIHO MUSEUM初代館長 梅原猛氏ご夫妻来校

 11月23日・24日 第2回文化祭

            テーマ<虹色の光を放つ「種」たち>

            ~美を分かち合い、光あふれる文化祭~

 

2014年

       4月7日 第3回入学式

      5月15日 第3回創立記念日 記念シンポジウム

            (登壇者:葉祥明氏、黒石ひとみ女史、伊藤圭一氏)

      7月11日 理学博士(理論物理学) 佐治晴夫博士特別授業

 7月17日~8月2日 アメリカ・コロラド州クレストン研修旅行

            前期課程3年生(1期生)

      9月23日 第3回体育祭 テーマ「Never give up ~深めよう絆~」

     11月24日 第3回文化祭 テーマ「生命(いのち)」

 

2015年

      3月20日 一般社団法人日本エシカル推進協議会 理事

            薄羽美江女史ワークショップ

       4月4日 思想家・社会活動家 サティシュ・クマール氏ご夫妻講演会

       4月6日 第4回入学式

            (出入国管理及び難民認定法の改正による海外生の受入れ開始)

   5月1日~12日 ネパールより短期留学生の受入れ

      5月15日 第4回創立記念日 MIHO MUSEUM館長 辻惟雄氏講演会

            テーマ「生誕300年の天才絵師 伊藤若冲」

      6月15日 イタリア料理人 奥田政之シェフ講演会&ワークショップ

      7月11日 明治大学特任教授 リサ・ヴォート女史特別授業

  7月15日~30日 第2回アメリカ・コロラド州クレストン研修旅行

            前期課程3年生(2期生)

 7月28日~8月1日 第39回全国高等学校総合文化祭

            「2015滋賀 びわこ総文」 に初参加

            郷土芸能部門(和太鼓)、合唱部門、ボランティアスタッフ

      9月27日 第4回体育祭 テーマ「力戦奮闘 ~世界へ跳びたて~」

     10月17日 ドキュメンタリー映画「地球交響曲 ガイアシンフォニー」

            龍村仁監督講演会

     11月15日 第4回文化祭 テーマ「和」

     12月12日 有限会社耕木杜 阿保昭則大工棟梁ワークショップ

 

2016年

       4月8日 第5回入学式

      4月13日 アメリカ・コロラド州クレストン責任者

            ハナ・ストロング女史講演会

      4月30日 ラ・フォル・ジュルネびわ湖2016へ参加

            (太鼓演奏、ボランティアスタッフ)

      5月15日 第5回創立記念日 MIHO MUSEUM館長 熊倉功夫氏講演会

            テーマ「茶の湯と日本文化」

  7月13日~28日 第3回アメリカ・コロラド州クレストン研修旅行

            前期課程3年生(3期生)

      9月24日 第5回体育祭

            テーマ「ONENESS ~今、つなげよう 僕らの絆~」

 11月14日・15日 第5回文化祭(紫苑祭) テーマ「Link」

 

2017年

  3月10日~19日 第1回ヨーロッパ研修旅行

            「イギリス、ドイツ、イタリア、フランス」

            後期課程5年生(1期生)

       4月1日 共働学舎新得農場代表 宮嶋望氏ご夫妻講演会(教職員対象)

       4月8日 第6回入学式

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同窓会

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校章の基となったレリーフ「飛天」( MIHO MUSEUM蔵 )

校章について

MIHO美学院の校章は、MIHO MUSEUMに所蔵されている美術品「飛天」からアイディアを得ています。このレリーフは、奈良の興福寺伝来のもので、平安時代の作といわれております。
このレリーフの、背板の飾り板に注目すると、美しく伸びた曲線と幾何学的な形状が、開いた本や、万年筆の先を連想させます。また、この飾り板は懸魚と呼ばれ、神社仏閣の妻飾りであったことから、MIHO美学院での学びをサポートする学舎という印象を与えます。飾り板の中の飛天は、MIHO美学院における、上を目指す、天に届こうとする思いを表しており、空へと羽ばたく姿、または悟りを象徴し、それらはまさに生徒達の教育と結びつきます。
この作品は、元来、飛天像と背板が、別々のものであったと言われておりますが、MIHO MUSEUM創立者であった小山美秀子師は、この飾り板と飛天の輝くばかりの取り合わせの妙、見立ての鋭い感性をこよなく愛されました。木の飾り板と飛天とが互いに引き立てあい、絶妙なバランスで調和しているこのレリーフは、美しい志を持った生徒たちが、素晴らしい環境の中で学ぶ姿を連想させます。そして、この美術品が表現する感性、高貴さは、師の美意識、その根底に流れるスピリチュアリティ―を体現しているといえましょう。
MIHO美学院では、いくつもの候補の中から、美秀子師が愛された、この作品を校章のモチーフに採用しました。まさに、MIHO美学院の校是にふさわしい、象徴的な形であります。



デザインについて

MIHO美学院のロゴをはじめ、キャンパス内の表示板等を含めたサイン(表示)計画は特有のデザインで、ペンタグラム社のアボット・ミラー氏が担当しました。ペンタグラム社は米国ニューヨークを拠点とした、ティファニーのブランディング・デザインやシカゴ美術館新館のサイン計画等、数多くの著名なグラフィックデザインを手掛けた実績のある、世界で最も評価の高いデザイン会社の一つです。ミラー氏がデザインしたMIHO美学院のロゴは、ミラー氏がMIHO MUSEUMを訪れた際に見た、日本の美術品の一つからインスピレーションを得て、デザインされました。 グラフィックデザインに使用される書体は、日本語と英語ではそれぞれ別々の書体を使用しながら、並記しても絶妙なバランスを保持し、両方とも繊細な線の太さと丸みを帯びた柔らかい表情を持つ独特なものを採用しています。各教室などの部屋名表示板は、壁から少しだけ浮いているように見える形状と微妙な曲面を用いた特徴的なデザインで、表示板の裏面にだけ彩色が施され、白い壁に色が映り、発光しているかのように見せる独創的なデザインとなっています。



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第3回創立記念シンポジウム

MIHO 美学院校歌が出来るまで

第3回創立記念シンポジウム

MIHO美学院の校歌を作詞された葉祥明さん、作曲された黒石ひとみさん、プロデューサーの伊藤圭一さんをお招きして、第3回創立記念シンポジウムを開催しました。お三方には校歌に込めた想いを語っていただき、参加した生徒と教職員は、初めて耳にするお話を興味深く聞き入っておりました。



葉祥明さん

校歌の作詞をさせて頂くに当たり、何度も理事長先生とお話しをしました。そこで、建学の理念を度々お聞きするとともに、こういうことを織り込んで欲しいというご要望をお聞きしました。理事長先生は、ご要望として「真善美」と「慈しみ」などの、様々な理念を仰いました。僕の感想では、校歌の中に盛り込まれた理念の全ては理事長先生の想いだというふうに思っています。そして、ひいてはこの地、それから小山美秀子師のお気持ち、あるいは岡田茂吉師の理念、そういう理念が校歌の歌詞になっております。それから、理事長先生の小山美秀子師を想う気持ちも、皆さんへ託す気持ちも、全て表現されていると思っております。そして、特に、どうしても覚えておいて欲しい、魂まで刻み込んで欲しいのは、「母なる御方の恵み受け」という「母なる御方」は、小山美秀子師のことです。そして、いつでも自分の行動、仕事や色々な人との付き合いの中において、真善美に則っていれば絶対に間違いないということの教えなんだと思います。


黒石ひとみさん

校歌は、国歌に値するくらい大切なものです。また、新設の学校ですから、校歌はすごく重要な任務を持つと思います。これから何年後、何十年後、そして百年後まで、このMIHO美学院の校歌は歌い継がれて行くでしょう。その時代時代で、背景や地域は、どうしても変わっていくでしょう、しかし、何年経っても、何十年経っても残っているクラシックのように美しいメロディーと素晴らしい和音、そういったものを残したい。しかもMIHO美学院ですから、芸術・美しいということ、それをすごく考えました。地域がどれほど変わって行こうが、この曲は伝承されていくのです。どんな想いで、この歌詞ができて、この曲ができているのかということも、ずっと伝承されていくと思います。いつまでも伝承されていくものを作りたいなと思いました。


伊藤圭一さん

音楽の素晴しいところは、覚えてしまうと、何もなくてもその音楽を思い出せるところにあります。自分が歌えばそこで音楽が出来上がるでしょう。そういうものは他にはありません。音楽と言うのは、記憶してしまえば、どこででも再現できます。皆さんがこれからMIHO美学院を卒業されようが、海外へ行こうが、どこに行こうが、この音楽を思い出せるでしょう。それで、今はインターネットがありますから、今、この校歌をこの時間に世界中で聞くことができます。そして、ホームページをクリックしただけで流れます。それも素晴らしいことです。このお二方は、世界中で聞いても通用するクラスのものを作って下さいました。僕は、それは本当に誇りに思います。


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校歌を再生する

歌:黒石ひとみ

 

MIHO美学院校歌

作詞 葉 祥明
作曲 黒石 ひとみ

一.
翠深き 信楽の
光溢る 学舎に
集いて学ぶ 若き翼
母なる御方の 恵み受け
いつか世界へ 飛翔かん
Beauty is the Truth
Beauty is the Life
美しき心
MIHO MIHO Institute of Aesthetics

二.
遥か山の 連なりと
涼風が渡る 大湖
古今の真美に 見守られて
母なる御方を 仰ぎ見て
地上天国 礎たらん
Beauty is the Truth
Beauty is the Life
慈しむ心
MIHO MIHO Institute of Aesthetics

三.
誠と感謝 いつも抱き
真善美を 共に学ぶ
神慈の絆 結ばれて
母なる御方の 教え受け
他人の幸せ 祈らん
Beauty is the Truth
Beauty is the Life
調和なる心
MIHO MIHO Institute of Aesthetics



作詞家について

葉祥明

ようしょうめい <本名:葉山祥明> 絵本作家・画家・詩人 72年、はじめての絵本「ぼくのべんちにしろいとり」(至光社)を出版、イギリス、フランス、スウェーデンで発刊。90年、創作絵本「風とひょう」イタリア・ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞、英国アン王女に原画献呈。91年、北鎌倉に葉祥明美術館開館。97年、絵本「地雷ではなく花をください」日本絵本賞読者賞受賞、創作絵本「イルカの星」第7回けんぶち絵本の里大賞、創作絵本「ひかりの世界」第32回造本装幀コンクール展入賞。2000年、長崎原爆絵本「あの夏の日」発刊、第6回平和協同ジャーナリスト基金賞奨励賞。01年、絵本「美しの里」出版。02年、葉祥明阿蘇高原絵本美術館開館。04年、絵本「クレストンの青い鳥」出版。06年、会主様絵本「美しいものを見なさいFeel the beauty」出版。


 

作曲家について

黒石ひとみ

くろいしひとみ 作詞・作曲家・歌手(Hitomi名義も使用) 作詞・作曲家として、多くのアーティストに曲を提供する一方、自らの歌唱による作品も発表する。特に、Angel Feather Voiceと呼ばれる、繊細な声を幾重にも重ねる多重コーラスによる作品は、アニメーション等の映像に起用される事も多く、このため国内に限らず、全世界的にファンが多い。歌唱を伴う音楽のほかにも、「美しの里」に代表されるような癒しの音楽にも定評があり、国際会議のセレモニー、東日本大震災慰霊祭、地球温暖化防止キャンペーンなど、様々な場面で採用されている。TV番組等でのオーケストレーションのみならず、グラフィックまでも手掛ける等、活動は多岐に渡る。


 

プロデューサーについて

伊藤圭一

いとうけいいち サウンド・プロデューサー&レコーディング・エンジニア 株式会社ケイ・アイ・エム代表取締役 レコード会社主体の音楽制作の常識を覆し、自らが設計した機材による「KimStudio」はプロジェクト・スタジオの先駆けといわれ、映画音楽、NHK等番組音楽、CM、オリンピック、ディズニーワールドなど、幅広く音楽プロデュースを手掛ける。国内外の楽器音響メーカーの技術顧問を歴任。アーティスト・プロデュースにも定評がある。そのレコーディング技術や斬新なアイディアから執筆依頼も多く、変幻自在のテクニックから作り出される音楽ゆえ、“音の魔術師”と呼ばれている。「会主様讃歌」「MIHO美学院校歌」「美しの里」「美しの里コンサート」の音楽プロデューサー。


 
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桜色に染まったMIHO MUSEUMのトンネル

 

小山美秀子師の美意識

 

小山美秀子師が創立した美術館「MIHO MUSEUM」を訪れると、自然と一体となった清々しい建物が、まず目に飛び込んでくるでしょう。館内には、古今東西から集められた一流の美術品が、光や空間と調和して展示され、レストランや喫茶では、秀明自然農法の食材を使ったお料理が供されています。美秀子師は生前、自然への敬慕や感動から生まれた芸術に触れることの大切さを語り、「自然の美しさというのは、流れていって消えてしまうでしょう。だからその時の感動を心の中に収めて、その中から生まれてきたものが芸術です」という言葉を残しています。MIHO MUSEUMには、美秀子師の「心眼」で集められた美術品の魅力が、余すところなく紹介され、訪れる人を美でもてなしたいという師の想いに溢れています。美秀子師は、美しいものは、人の魂を浄化し、幸せに導くという岡田茂吉師の思想を、この美術館に集約させました。美術館には国内だけでなく、海外からも多くの来訪者があり、さまざまなメディアでも紹介されています。美秀子師のコレクションが、日本にとどまらず世界へと広く知られるようになったことは、コレクションの質の高さが、人々の心を惹きつけてやまないからでありましょう。どの美術品も、まるで生きているかのように語りかけ、ぬくもりや優しさ、力や勇気を与えてくれます。そして私たちは、一目見るだけで、その美術品一つひとつから放たれる美の魅力に心を奪われ、また会いに行きたくなるのです。真に美しいものとは、たとえはるか昔に作られたものであっても、私たちが迷い立ち止まってしまったときに新しい風を吹かせ、美しく生きなさいと、向かう先を示し導いてくれるものであると思います。生まれてはじめて親元から離れ、過ごす日々は、誰でも、最初は不安に思うことがあるでしょう。けれど、信楽の美しい景色や、圃場の作物、美学院の先輩や先生方の、熱く温かい眼差しに触れる中で、自分たちが、目に見えない大きな愛情で支えられて生きていることを、たくさんの美しいものから学ぶはずです。天と地、そして私たちをとりまくすべてのものに命を感じ、調和していく美学院での生活を通して、あなた方を見守る、美しい風が吹いていることに気づくでしょう。この信楽の地でまなぶすべての者は、まるで美しい風に出逢うように、美秀子師が求めたものと巡り会って行きます。「美しいものを求めるってことは神様を求めることなのよ」という師の言葉に表されるように、美しいものに感動し、その想いを伝えることは、今生きている私たちに託された、美しい魂のリレーなのだと思います。いつか生徒たちの心に生まれた色とりどりの想いが、さらなる美しい風となって、世界の人々と巡り会う日々を、美秀子師は心から待ち望んでいると思います。

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小山美秀子師が作られた絵更紗の風炉先屏風の一部

 

小山美秀子師について

創立記念日と申しますと、多くは、学校の竣工日とか、1期生の入学式とかになると思いますが、MIHO美学院は、神慈秀明会の開祖である小山美秀子師(会主様)の生誕日を創立記念日としています。私の母について少し話させて頂きます。

岡田茂吉師(神慈秀明会教祖)の地上天国建設の思想の精神性を本校の建学の精神としております。そして、岡田茂吉師の薫陶を得て、小山美秀子が神慈秀明会の開祖となりました。母は、1910年、明治43年5月15日に大阪の中心地にあたる船場という、問屋街や金融街にある河崎家の次女として生誕しました。この河崎家というのは、年中行事を大切にする一方で、また、進取の気性に富んだ家風でございました。そして私の祖父母は、観音信仰に大変熱心であったと聞いております。

母は、活発にして大変聡明ということで、女学校内でも目立っていたようです。清水谷高等女学校を卒業して、普通ならば、そこで花嫁修業をして結婚となるのでしょうが、それを物足りなく感じ、さらに高い精神性のある情操的な学校に憧れて、東京の自由学園に進学しました。「当時、大阪から東京へ、女子が一人で行くということは、現代の子供たちが、日本から海外へ勉強に出るよりも難しかった。」と申しておりました。自由学園というのは、羽仁もと子、吉一夫妻が立ち上げられました「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ」「人としてこの世に生まれた以上は、社会に奉仕すべきである。」というキリスト教精神に基づき、生活即教育、独立と協調を学ぶ教育でした。何不自由なく過ごしておりました母にとりまして、自由学園の寮生活は非常に厳しく、本当に大変な厳しさから、涙したこともあったようでございます。しかし、その自由学園で学び、羽仁もと子女史の薫陶を受けたことが、その後の母の歩む道の基礎となりました。

母は昭和16年に、岡田茂吉師との邂逅を得ました。そして、戦中戦後の混乱期を乗り越え、一途に教祖の教えに従いまして、生涯人の幸せを願って布教伝道の道を歩みました。一方、大変美を求め、美を愛でられた教祖でございました。母も同じく、美しいものが好きでした。大自然の美しさや、一流美術品に心を惹かれ、最終的には、世界の最高の美を求めて、収集されたコレクションが、今、MIHO MUSEUMの南館に収められています。「美しい物、一流のものを沢山見なさい。感動が生きた栄養になるのですよ。美しいものを求めることは、神様を求めることなのよ。」という言葉を残しております。

母の理想とする教育の具現化を目指して、MIHO美学院の子供たちは6年間しっかりと建学の精神に基づいて学び、将来、真善美の理想世界実現の為に、社会に貢献する人材となって卒業して行くことを願っております。

2014 年5月15日
MIHO美学院創立記念日の初代小山弘子理事長挨拶より


小山美秀子師 略年譜

 

■明治43(1910)年5月15日
河崎家の第二女として、大阪に誕生。
 
■昭和3( 1928 )年3月
大阪府立清水谷女学校卒業後、羽仁もと子氏が創設した東京の自由学園高等部に進学、自由学園の教育理念である「生活即教育・独立と協調の精神」を学ぶ。
 
■昭和16( 1941 )年
精神的指導者である岡田茂吉師との邂逅により、「真善美」の理想社会実現の理念を学び、献身的な奉仕活動を開始。
 
■昭和45( 1970 )年
岡田茂吉師昇天から15年が過ぎたのち、岡田師の精神性への帰依と真の信仰を求めて、神慈秀明会を創設。
 
■ 昭和58( 1983 )年
滋賀県信楽の地に、同会の中心地となる「神苑」を開苑。かの地に富士山を思わせる殿堂「教祖殿」を建立する。設計は、ニューヨークのワールドト レードセンターなどで知られるミノル・ヤマサキ氏に依嘱、竣工。
 
■平成4( 1992 )年
岡田師の「自然順応・自然尊重」の理念を実現すべく、秀明自然農法の普及展開を開始。
 
■平成9( 1997 )年
岡田師の「美による感化・美による社会奉仕」の理念を実現すべく、滋賀県信楽の山中にMIHO MUSEUMを開館。パリ・ルーブル美術館のリニューアルをはじめ、世界でさまざまなプロジェクトを推進してきたI.M.ペイ氏に依嘱、竣工。
 
■ 平成15( 2003 )年11月29日
昇天。享年93歳。
 
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岡田茂吉師の思想とは

誰もが一度は、人として生まれてきた目的や意味を考え、自分に何ができるのだろうかと思い悩んだ経験があるのではないでしょうか。それは、私たち人間にとって、永遠のテーマといえるのかも知れません。このテーマを追い求め、過去、数千年という長い歳月を掛けて、人類は学問を発達させ、高度な文明世界を築いてきました。

岡田茂吉師は、かつて人類が思い悩んできたさまざまな問題を解き明かし、人間が生まれてきた目的や意味、そして使命を的確に指し示す数多くの論文を書き遺されました。その範囲は、宇宙の創造までさかのぼる広大無辺なものから、身近な家族の問題まで幅広いものでした。

皆さんは、世界人類にとって共通する幸せとは、どのようなものだと思われますか。肉体的にも精神的にも健康であることは、人間にとって、幸福条件の一つに挙げられると思います。しかし、現代に生きる私たちを振り返った時に、心身共に健康であると誇れる人は、果たしてどれくらいの人がいるのでしょうか。

明治15(1882)年12月23日、この世に生を受けた岡田茂吉師は、幼少時代より、人間としてのありとあらゆる苦しみを味わわれました。病気はもちろんの事、経済的な困難やそれらに伴う争いなど、普通の人間ならば挫けてしまう状況の中にあって、世の中のあらゆる手段、方法を研究し、克服していかれました。その研究範囲は多岐にわたり、西洋医学、東洋医学、哲学、宗教、芸術など、古典から最先端のものまで、専門家をもしのぐほどの知識を得られ、一つの到達点へとたどり着かれました。

それは、自然順応、自然尊重の思想です。 人間は、自然からの恩恵を受けてこそ感謝の心が湧き、心豊かに生きていけるのではないでしょうか。産業革命以降に起きた、自然を征服しようとする思想、行き過ぎた物質文明は環境を破壊し、人類をも破壊する存在となっています。また、医療技術は日々進歩し続けていますが、肝心の病気や病人は一向に減ることがない現実は、どのように説明がなされているのでしょうか。

岡田茂吉師は、さまざまな経験や豊富な知識を基に、人類が抱える問題の解決法として、本校の建学の精神でうたわれている「生命の芸術、農業の芸術、美の芸術」の三つの芸術活動を提唱されました。そして、この活動を行う上で大切なことは、真・善・美の心、それは、誠の一字に集約されます。例えば、人との約束を守ることは信頼関係を築く上で大切な要素であり、うそをつかず正直に生きることは、誠の現れとして、その人を幸せに導いてくれると説かれました。

そして、いつ、どのような時にでも世界的観点から物事を捉え、どのようにすることが人類にとって幸せなのかを考えること、行動することを推奨されました。それが真の善行であり、独善的に偏った思想では、人々を不幸に陥れ、結果において悪を生むことを説かれました。日本語に「丁度良い」という言葉がありますが、何事も偏らず、調和を保つことが平和を保つ思想であることを自ら示されました。

岡田茂吉師は「人を幸福にしなければ自分は幸福になり得ない」と常に言われ、この心の拡大を願っておりました。本校では、師の志を受け継ぎ、世界平和に役立つ人材の育成を目指しております。

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建学の精神



美を求める心

岡田茂吉師の思想を本校の精神性とする。
“生活即教育”の学びを中心に、一般教養を身に付け、
更に、三つの芸術性を通して人格の形成を図る。
そして、将来、世のため人のために率先して
社会に貢献できる精神性と体力を育む。



三つの芸術をリンクした学び

1 .スピリチュアリティー
  spirituality
  敬虔な祈りと師の教えを学ぶ

2.ナチュラルアグリカルチャー & ガーデニング
  natural agriculture & gardening
  自然順応、自然尊重を学ぶ

3.ビューティー オブ ミホミュージアム
  beauty of MIHO MUSEUM
  MIHO MUSEUM創立者・小山美秀子師の美の感性を学ぶ



小山美秀子師の言葉

“若い生命、若い肉体をもつ彼、彼女らに正しいものをつかんでもらいたい。
正しい生き方のためにその生命を奉仕してもらいたい。
正しい祈りと努力と協力の上に、天よりの栄光は必至である”

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美しきものを求めて


創立者  小山 弘子(1940-2022)

科学の進歩は止まるところを知らず、現代はインターネットの時代、情報社会となっているようです。便利な反面、いろいろと格差が生じ、厳しく、生活し難い社会のようです。更に精神性の欠如が社会悪を募らせています。こんな時代にこそ、人は幼少の頃から精神性・宗教心に目ざめる事が大切なのではないでしょうか。
MIHO美学院は神慈秀明会教祖である岡田茂吉師の思想を精神性とし、師に薫陶を受けた小山美秀子師(神慈秀明会開祖)の理想とする教育の具現化を願う学校です。小山は美しいものを求めて止みませんでした。それは、日々の暮らしの中にまで徹底されたものであり、その美しく毅然とした清らかな人格そのものでありました。美には心の美、行動の美があり、それらを個人が身につけることにより、美しい思想が世界へと広がりいくことを願っておりました。
本校は、そうした小山の理想とした『美を求める心』の教育を目指し、“生活即教育 ”、“独立と協調の精神“を六年間の全寮制の生活の中で育みます。生徒は朝の目覚めから、夜就寝するまで、時間に追われながら過ごすことになるでしょう。現代の子ども達にとって、最初はとても厳しい、辛い生活であるかもしれません。教師は生徒一人ひとりの心に寄り添い、また、個々の可能性を引き出すように努めます。
信楽の森の中に佇む瀟洒な学び舎、その中央に輝くMIHO チャペルが学院の象徴です。春には山桜、秋には真っ赤な紅葉が心に喜びと華やぎを与えてくれることでしょう。自然に恵まれた環境の中で六年間の“美を求める心”の学びを通して、将来、世の為、人の為に率先して社会に貢献できる人材、又、世界平和を志して翔いていく人材の誕生を願っております。

 
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